今回の教室恒例の音楽史の勉強は「ドイツの音楽の歴史」について紐解きました。
音楽史は、演奏と違って勉強の分野なので、いかに興味を持ってもらうか、生きた知識として蓄えてもらうか、がポイントです。
中学生以上には、ドイツ音楽の流れとドイツの歴史や文化、建造物などをまとめてプリントに。小学生以下には簡単でためになる?クイズにしました。
わからないところは宿題にして、一通りできたところで私が説明をします。
説明は、口頭だけでなく、実際に私が音を弾くと伝わりやすいようでした。
中には、私の知らないことまで教えてくれるツワモノもいて、その子なりの反応が面白かった(&可愛かった)ので、以下、記憶の許す範囲で取り上げてみます!
小5女子
「ルター…?あ、知ってる。教会の改革をした人だよね、うちにあった歴史の本で読んだ!」
→ルターについては、小学生にはまだ難しいだろうなと思いつつ載せたのですが、わかる子がいました!!しかも、塾でもネットでもなく「おうちにあった本」で読んで知ったというのが素敵!ルターが行った宗教改革は教会音楽のみならず、ヨーロッパ全土の歴史に大きな影響を与えました。
何人かの回答
「J.S.バッハ・ベートーヴェン・ブルグミュラー」
→『ドイツ三大Bとはだれのことですか』に対して。答えは、J.S.バッハ・ベートーヴェン・ブラームス。惜しい!!
小4女子
「バッハは奥さん二人合わせて、子ども20人の父か~。でもね、マリア・テレジアの方がもっとすごいよ、一人で16人産んでるから!」
→マリア・テレジアは18世紀のオーストリア、ハプスブルク家の女帝で、マリー・アントワネットの母としても知られています。バッハの「合わせて20人」が何ともかすんでしまう、一人で16人!しかも政治をしながらです。この小4ちゃんも歴史と音楽史が大好きです!
小4男子
「『英雄』が、はじめナポレオンに捧げる予定だったのは知ってたけど、捧げるのをやめたのはどうして?」
→与えられた答えのその先にまで、興味の枝葉を伸ばす!すばらしい姿勢だと思います。聴力を失いかけているベートーヴェンにとって勇気を与えてくれる存在だったナポレオンが、のちに皇帝に即位してしまったので、ベートーヴェンは「結局ナポレオンも権力がほしかったのか」とがっかりしたんだね、と話しました。
小3女子
「こうきょうきょく3番えいゆうってどんな曲?ってパパに聞いたら『ジャジャジャジャーンかな』って言ってた。でも、あれは『運命』だよね?えいゆう、弾いて~」
→お父さま、ありがとうございます。おかげで娘さんが運命と英雄をおぼえてくれました!!『英雄』の出だしを弾くついでに、『ピアノ協奏曲5番・皇帝』の出だしも弾きました。どちらもスケールと風格があります。名前も『英雄』と『皇帝』。ベートーヴェンにとってこの変ホ長調という調性が特別に英雄性を感じさせるものだったのでしょう。
小4女子
「知ってる!ハイリゲンシュタットの遺書だよね! …確か、書かれたのは1800何年の、10月6日?20何日だっけ!?」
→知りません(汗)『ベートーヴェンが失われていく聴覚に絶望を感じて、書いたのは「ハ○○○〇○の遺書」です。』という穴埋め問題。記した日までを質問したわけではないのですが。 遺書を書くほどの失意のどん底から見事に立ち直ったベートーヴェンは、この後さらなる見事な作品を、次々と生み出したのです。調べたら、日にちは1802年10月6日で大正解!!何という記憶力でしょう(^▽^)/
小5女子
「メンデルスゾーン。どんだけ金持ちなのよ!」
→メンデルスゾーンが、死後忘れ去られていたJ.S.バッハの音楽を世に紹介したきっかけは、おばあさまからもらったバッハのマタイ受難曲の何百ページに及ぶ筆写譜だった、同じ頃のシューベルトは貧乏で作曲のための五線譜さえ買えなかった、ということを知っての一言(笑)
小3女子
「ブラームスって美青年だね~♡シューマンも美青年♡」
→ブラームスというと、サンタクロースばりのひげのおじいさんを思い浮かべますが、若かりし頃のブラームスはかなりの「美青年」(古風な言い回しがすてき)。ブラームスの先生はシューマン。シューマンの奥さんはクララ・シューマン。シューマンの仲間にはリストやメンデルスゾーンがいることも覚えました。
子どもの興味と可能性は無限大!!!
私の発したひと言から、自分の知っていることを話してくれ、また、疑問を投げかけてくれることもあります。
今は、覚えた知識を<種>として自分の中にしまって、忘れてしまっても構いません。いつか何かのきっかけで発芽する(思い出す)かもしれませんから。
そんな風に思って、これからも興味の種を蒔き続けていかれたら…と思います ^ ^
今日もレッスンが楽しみです。